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中央アジア・シルクロード(1)
トルクメニスタン/タジキスタン/ウズベキスタン

国のあらましみどころ&アクティビティアクセス方法と他国との組み合わせ

旧ソ連の中央アジアには5つの国があります。中央アジアで最大の面積を持つカザフスタン、天山山脈の西に位置する美しい山国キルギス、パミール高原の北に位置するペルシャ系民族が住まう山国タジキスタン、数々の歴史の舞台に登場する世界遺産の宝庫ウズベキスタン、カスピ海に面した砂漠の国トルクメニスタン。中央アジア・シルクロード(1)では、そのうちトルクメニスタン、タジキスタン、ウズベキスタンをご紹介します。この三カ国にはユネスコの世界文化遺産をはじめ、貴重な史跡がたくさんあります。シルクロードの要衝として栄えた時代を偲ぶ旅に出かけてみませんか?

トルクメニスタンはカスピ海に面した国。ニヤゾフ大統領の統治下にあるこの国は度々そのユニークな政策で話題に上ります。この国はシルクロードの要衝として栄えた地域のひとつで、貴重な遺跡や史跡も数多く残されています。中でも南東部にある『国立歴史文化公園 古代メルヴ』ユネスコの世界文化遺産に認定されています。北部のダシュホヴズの郊外には、古代ホレズムの都『クフナ・ウルゲンチ』があり、貴重な建物がいくつも残っています。首都のアシュガバッドの近郊にもこの地の重要性をうかがい知ることのできる遺跡がいくつかあります。時間が許せばカスピ海を見に、トルクメンバシュに足を延ばしてみませんか?

タジキスタンはトルコ系民族の多い中央アジアにあって、唯一ペルシャ系民族の多い国。他の4カ国とは少し違った文化が育まれてきました。不幸な動乱も終わり、平和への道を歩んでいます。ビザの問題でなかなか訪れにくい国ですが、ぜひ、トルコ系民族の国々とは違った文化を味わってください。この国を有名にしているのは『ペンジケントの遺跡』。古代にソグド人によって建設され、8世紀のアラブ襲来まで続いていた都市の遺跡です。ウズベキスタンのサマルカンドから比較的容易に訪れることができます。時間があればぜひ、首都のドゥシャンベへ。市内のチャイハナで食事をし、昔を偲ばれてはいかがでしょう?

ウズベキスタンは日本からの直行便が就航し、上記2カ国を旅行する際に拠点となる国です。ウズベキスタンを単独で訪れても感動の波が続きます。『ヒヴァのイチャン・カラ』『ブハラ歴史地区』『シャフリサーブス歴史地区』『サマルカンド―文化交差点』の4つがユネスコの世界文化遺産に認定されている、史跡の宝庫です。それぞれの地区にはイスラーム建築文化を代表する貴重なモスク、神学校、宮殿などが数多く残されています。また、ギジュドゥヴァンやリシタンといった美しい陶器や、伝統の刺繍スザニなど、工芸品でも重要なものが多い国です。ラクダに乗って砂漠を歩き、遊牧民の天幕ユルタに泊まる旅もウズベキスタンの魅力です。

 ウズベキスタン: サマルカンドのレギスタン広場<イメージ>

*PALM tour center では3カ国(タジキスタンはペンジケントのみ)を一度に回る9日間のプランをご用意しております。
まずはお問い合わせ下さい!

国のあらまし
  トルクメニスタン タジキスタン ウズベキスタン
正式国・地域名 トルクメニスタン タジキスタン共和国 ウズベキスタン共和国
面積 約488,100ku 約143,100ku 約447,400ku
首都・首府 アシュガバッド ドゥシャンベ タシケント
元首/政体 元首: ニヤゾフ・サパルムラド・アタエヴィチ大統領
政体: 共和制
元首: ラフモノフ・エモマリ・シャリポヴィチ大統領
政体: 共和制
元首: カリーモフ・イスラーム・アブドゥガニェヴィチ大統領
政体: 共和制
人口/民族構成 人口: 約4,900,000人
民族構成: トルクメン人が約85%。ほかにロシア人、ウズベク人など
人口: 約6,510,000人
民族構成: タジク人が約80%。ほかにウズベク人、ロシア人など
人口: 約2、510,000人
民族構成: ウズベク人が約77%。ほかにロシア人、タジク人、カザフ人、カラカルパクスタン人、タタール人、キルギス人、トルクメン人など
宗教/言語 宗教: イスラーム教ほか
言語: 公用語:トルクメン語。
     ロシア語も通じる
宗教: イスラーム教ほか
言語: 公用語:タジク語。
     ロシア語も通じる
宗教: イスラーム教ほか
言語: 公用語:ウズベク語。
     ロシア語も通じる
通貨と為替 トルクメニスタン・マナト(Manat)。補助単位はない。
為替レート:1Manat=約0.02円(2005年調べ)。
タジキスタン・ソーモニ(Com)。補助単位はディラム(Diram)。
紙幣:1、5、10、20、50、100Com札
 ・・ 1、5、20、50Diram札
為替レート:1Com=約34.8円(2005年調べ)。
ウズベキスタン・スム(Cym)。補助単位はない。
紙幣:1、3、5、10、25、50、100、
200、500、1,000
硬貨:5、10、50
為替レート:1Cym=約0.1円(2005年調べ)。
ビジネス・アワー 官公庁: 月〜金の9:00〜13:00位
会社: 月〜金の9:00〜13:00位
銀行: 月〜金の9:00〜13:00位
お店: 月〜金の10:00〜18:00位
注)以上、未確認情報なので要確認
レストラン: お店によって営業時間が違うので確認が必要
官公庁: 月〜金の9:00〜17:00位
会社: 月〜金の9:00〜17:00位
銀行: 月〜金の9:00〜17:00位
お店: 月〜金の10:00〜18:00位
注)以上、未確認情報なので要確認
レストラン: お店によって営業時間が違うので確認が必要
官公庁: 月〜金の9:00〜17:00位
会社: 月〜金の9:00〜17:00位
銀行: 月〜金の9:00〜17:00位
     土の午前中やっている所も
お店: 月〜金の10:00〜18:00位
レストラン: お店によって営業時間が違うので確認が必要
時差とサマータイム 日本より4時間遅れている。
日本が正午のとき、トルクメニスタンは午前8時。サマータイムはない。
日本より4時間遅れている。
日本が正午のとき、タジキスタンは午前8時。
サマータイムはない。
日本より4時間遅れている。
日本が正午のとき、ウズベキスタンは午前8時。
サマータイムはない。
気候と旅行シーズン 典型的な大陸性気候。トルクメニスタンの夏の暑さは有名だが、特に砂漠地帯は最高気温が60℃近くまで上がり、過酷。7月〜8月は雨も殆ど降らない。冬はさほど寒くならず、真冬の1月でも平均気温は4〜5度前後。冬以外でも朝晩涼しいことがあるので、羽織れるものは用意したい。年間を通じ、日差し対策も必要。 典型的な大陸性気候。標高によっても差があるが、夏は暑く、冬は寒い。ドゥシャンベなどでは夏季の平均気温は28℃ぐらいだが、ペンジケントは最高気温40℃ぐらいになることも。冬季は道路の閉鎖もあるので旅行には適さない。冬以外でも朝晩冷え込むことがあるので、羽織れるものを用意したい。冬以外の日差し対策も必要。 典型的な大陸性気候。夏季はかなり暑く、砂漠地帯などでは時として最高気温が50℃以上になることもある。逆に冬はかなり寒く、最低気温が氷点下になることも。旅行シーズンは一般に4〜6月と9〜10月と云われる。。冬以外でも朝晩冷え込むことがあるので、羽織れるものを用意したい。冬以外の日差し対策も必要。
電圧とプラグ 電圧220V、50Hz。
プラグは『C』タイプ。
電圧220V、50Hz。
プラグは『C』タイプ。
電圧220V、50Hz。
プラグは『C』タイプ。
電話 国際電話は電話局からかけられる。
*日本からトルクメニスタンへ:国際電話会社番号+国際電話識別番号010+トルクメニスタンの国番号993+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
*トルクメニスタンから日本へ:国際電話識別番号8(トーンを確認)−10+日本の国番号81+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
国際電話は電話局からかけられる。
*日本からタジキスタンへ:国際電話会社番号+国際電話識別番号010+タジキスタンの国番号992+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
*タジキスタンから日本へ:国際電話識別番号8(トーンを確認)−10+日本の国番号81+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
国際電話は電話局からかけられる。
*日本からウズベキスタンへ:国際電話会社番号+国際電話識別番号010+ウズベキスタンの国番号998+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
*ウズベキスタンから日本へ:国際電話識別番号8(トーンを確認)−10+日本の国番号81+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
水道水の飲用不可。ミネラル・ウォーターか湯冷ましを飲むほうがいい。 水道水の飲用不可。ミネラル・ウォーターか湯冷ましを飲むほうがいい。 水道水の飲用不可。ミネラル・ウォーターか湯冷ましを飲むほうがいい。
チップ チップの習慣はない。しかし、ガイドに最後の日に渡すのは慣例となっている。一日につき10ドルぐらいがめやす。 チップの習慣はない。しかし、ガイドに最後の日に渡すのは慣例となっている。一日につき10ドルぐらいがめやす。 チップの習慣はない。しかし、ガイドに最後の日に渡すのは慣例となっている。一日につき10ドルぐらいがめやす。
入出国関係 パスポートの残存有効期間: ビザ申請時6ヶ月以上の残存有効期間が必要。
ビザ: 必要⇒但、入国から出国までの全てのホテル、旅行が確定していなければならない⇒詳しくはお問い合わせを
滞在登録: 必要。ガイドが代行。
パスポートの残存有効期間: ビザ申請時6ヶ月以上の残存有効期間が必要。
ビザ: 必要。空港到着時に領事部で取得できる。但し、招聘状が必要⇒詳しくはお問い合わせを

滞在登録: 必要。
パスポートの残存有効期間: ビザ申請時6ヶ月以上の残存有効期間が必要。
ビザ: 必要。
滞在登録: 必要。

上記に『ビジネスアワー/電圧とプラグ/電話』をご案内しております。
1.
ビジネスアワーについては平均的な営業時間帯を採用しております。しかし、全ての機関や会社、お店、レストランがその通りの時間帯で営業しているとは限りません。出発前もしくは現地に到着後、ご確認されますよう、お願い致します。
2.電圧とプラグについてはなるべく政府関係・政府観光局関係の資料を基に作成してありますが、ホテルによっては個別のアウトレット(コンセントの穴)を設置している場合がございます。アウトレットによって使用できるプラグの形が決まります。ご出発前にご確認されますよう、お願い致します。
3.
電話のかけ方は一般的に電話局などから日本に直通電話をかける場合のかけ方をご紹介しております。かける場所(公衆電話、カード式公衆電話、空港や駅に設置の電話、ホテルの部屋に設置の電話)によってかけ方は異なります。ホテルから電話をおかけになる場合はフロントで、また、弊社の「ホテルでの宿泊を伴う現地発着プラン」を申し込まれたお客様はガイドや現地係員などにホテルから電話をかける方法をお聞き下さい。一部の国・地域では電話局からしかかけられない場合があります。また、コレクトコールのできない国・地域もございます。

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みどころ&アクティビティトルクメニスタンタジキスタン/ウズベキスタン<タシケント><ヒヴァ><ブハラ><シャフリサーブス><サマルカンド><その他>]
トルクメニスタン トルクメニスタンには4つの主要観光地がある。ウズベキスタンの北部から国境を越えて入る場合、一般的にまず観光するのはホレズムの古都「クフナ・ウルゲンチ」、そして夕方の飛行機で首都「アシュガバッド」へ。アシュガバッド市内や郊外にみどころがある。そして再びウズベキスタンに戻る際は、東への道をとり、世界遺産「メルヴ」を観光。時間があれば「カスピ海」も見たい。

<クフナ・ウルゲンチ>

「クフナ・ウルゲンチ」とは「古いウルゲンチ」という意味。かつて栄えたホレズムの都クフナ・ウルゲンチは、モンゴル軍やティムール軍によって壊滅的な打撃を受けたが、命脈を保ち続け、10世紀から14世紀まで存続した。クフナ・ウルゲンチを滅亡に追いやったのは、外敵の侵入ではなかった。なんと、クフナ・ウルゲンチを育み続けてきたアムダリヤ川が、その流れを大きく変えてしまったのだ。そのため、住民は500年に渡って住み続けてきたクフナ・ウルゲンチを見捨て、現ウズベキスタン領のヒヴァへの遷都を余儀なくされてしまったのである。クフナ・ウルゲンチには、かつて栄えたホレズムの都の栄華を偲ぶ建造物がある。

グルガンジ遺跡群: かつては東洋でいちばん大きな町のひとつであったが、ヒヴァ遷都と同時に衰退した。

テュラベク・ハーン廟: イスラーム建築としてはクフナ・ウルゲンチで最も大きい。14世紀に建立された。この建物が廟であったのか、宮殿であったのかは定かではない。

スルタン・テケシュ廟: 1172年〜1200年にホレズムを統治していたスルタン・テケシュのために建てられた廟。

イル・アルスラン廟: 1172年に統治者イル・アルスランのために建てられた廟。青タイルと12角の屋根が美しい。

キャラバンサライの門: キャラバンサライは廃墟と化したが、入り口の門だけが残っている。

クトルグ・ティムール・ミナレット: クフナ・ウルゲンチのシンボル的存在。14世紀に建てられたミナレットで、中央アジアで最も高い67mの高さを誇る。この高い尖塔は、はるか30km遠くからでも望むことができたといわれる。

ナジムアッディン・アル・クブラ廟: 12世紀のイスラーム神秘主義者ナジムアッディン・アル・クブラの廟。

スルタン・アリ廟: 16世紀にホレズムを統治したスルタン・アリの廟。前述のナジムアッディン・アル・クブラ廟と向かい合っている。近くには『ダシュ・モスク』がある。

クルクモラ城塞: 小高い丘の上にある城塞跡。繁栄の当時を偲ぶ由もない廃墟。

<アシュガバッドとその近郊>
トルクメニスタンの首都。ここへ来たら名馬
「アハル・テケ」の活躍する『競馬場』、伝統の手法で織り上げられる『絨毯工場』と絨毯の展示がみごとな『絨毯博物館』、中央アジアでも屈指の規模を誇る大市場『タルクーチカ・バザール』は必見。郊外に行けば、紀元前後に繁栄を極めたパルティア帝国の夢の跡『ニサ遺跡』、15世紀頃に「バガバッド」と呼ばれていた都の『アナウ遺跡』、洞窟の中の温泉の湖『コヴ・アタの地底湖』など、みどころは多い。クフナ・ウルゲンチとメルヴの間の中継点となりがちだが、ぜひ、滞在して名所めぐりをしてみたい。

<国立歴史公園 古代メルヴ>

トルクメニスタン随一のの観光のハイライト。かつてはシルクロード屈指の規模を誇り、幾多の王朝や帝国の興亡の舞台となったオアシス都市メルヴ。ペルシャと中央アジアを結ぶシルクロードの中継点として、セルジュク朝時代には首都ととして、イスラーム世界に於ける最大の都市のひとつとなった。しかし、1221年のモンゴル軍の侵入で繁栄を極めたメルヴは壊滅し、それ以降とかつての栄光を取り戻すことはなかった。メルヴの都市遺跡の特徴は、他の都市遺跡と異なり、ひとつの都市が滅びると、その場所は放棄されて、別の場所に都が築かれた。そのため、複数の都市遺跡が隣接して残る。仏教伝播の西端としての遺跡も発見された。数々の貴重な遺跡を有する
国立歴史公園 古代メルヴは、ユネスコの世界文化遺産に認定された。

エルク・カラ: メルヴ遺跡の東に位置する遺跡。紀元前6世紀〜4世紀にかけて栄えた、古代メルヴで最も古い都の址。ここから眺めるメルヴ全景は美しい。

ギャウル・カラ: エルク・カラの南に位置する遺跡。アレクサンドロス大王の帝国が分裂してできたセレウコス朝(紀元前4世紀〜3世紀)時代に築かれ、ササン朝ペルシャ(3〜7世紀)の時代までの都であった。ギャウル・カラの南東部には仏舎利塔の跡があり、ギャウル・カラが仏教伝播の西端であることが確認された。

スルタン・カラ: メルヴ遺跡の中央に位置する巨大な都城跡。11世紀〜12世紀に栄えたセルジュク朝の首都となった場所。1218年、ホレズム・シャー朝の時代。メルヴはチンギス・ハーンへの朝貢を拒絶し、特使を殺害した。その報復として、1221年、チンギス・ハーンの末子トゥルイ率いるモンゴル軍は、メルヴを徹底的に破壊し、100万の人民は全員殺害された。

スルタン・サンジャール廟: セルジュク朝の繁栄を築いたスルタン・サンジャールの廟。モンゴル軍の破壊にも奇跡的に残った。かなり高度な建築技術で建立されていることで知られる。スルタン・カラの中央部に位置する。

キズ・カラ: スルタン・カラの南西にある、大小ふたつの城塞跡。とくに波状に外壁を築いてある大キズ・カラの姿は美しく、しばしば観光関係のポスターなどにも使われる。メルヴ観光のハイライトでもある。

<トルクメンバシュ>
カスピ海観光の拠点。郊外に出れば対岸のバクー(アゼルバイジャン)では見られない、美しい青い海を見ることができる。
タジキスタン
>タジキスタンは不幸な動乱の時代を終え、平和を取り戻した。これからは国を挙げて観光誘致政策をとるかも知れない。最近になって旅行者向けのホームページも出来上がって、意気込みが感じかれる。まず誰もが訪れるであろう場所は、観光のハイライト=ソグド人の都「ペンジケント」、そして首都「ドゥシャンベとその近郊」、さらには北部の「ホジャンド」のバザールも面白い。

<ペンジケント遺跡とその周辺>
『ペンジケント遺跡』はタジキスタン観光のハイライト。もともと5世紀にソグド人によって建設された町だが、それ以降に再建された歴史を持つ。再建された町もまた、8世紀のアラブ民族の来襲によって滅亡した。廃墟となったペンジケントの遺跡はガイド無しで観光するのは辛い。近くにある博物館、タジク人のバザールと合わせての観光をしたい。
詳しくは店長まで

<ドゥシャンベとその近郊>

タジク語で「月曜日」を意味する、タジキスタンの首都。ヒッサール渓谷の中心部に位置し、北東には美しいヒッサール山脈を見ることができる。ペンジケントの出土品などを展示した
『古代民族博物館』は必見。近郊にはブハラ・ハーンの代官が築城した豪壮な城塞『ヒッサール要塞』や、美しい山々を眺めることのできる『ヴァルゾフ渓谷』などがある詳しくは店長まで
ウズベキスタン
<タシケント>

ウズベキスタンの国のみどころはあまりにも多く、駆け足で訪ね歩いても一週間はかかる。まずは首都の「タシケント」でバザールなどを、そして4つの世界遺産「ヒヴァ」「ブハラ」「シャフリサーブス」「サマルカンド」。陶器の町「ギジュドゥヴァン」、ラクダに乗って遊牧民の天幕・ユルトに泊まれる「アイダルクル湖」、存亡の危機に瀕した「アラル海」も時間があれば訪れたい。

<タシケント>
タシケントはウズベキスタンの首都。街は大きくイスラーム文化の息づく迷路のような「旧市街」と、ソ連時代を彷彿とさせる広い「新市街」からなる。ホテル、レストランの多くは新市街にある。
 タシケントを走る市電<イメージ>

〜〜〜旧市街〜〜〜
チョルスー・バザール: タシケントの庶民の台所である巨大なバザール。室内と屋外に店は分かれており、室内の一階には乳製品をはじめ香辛料、パン&ケーキなど、二階にはドライ・フルーツの店が目立つ。屋外には青果市場が広がり、その間にはウズベキスタンの国民食『プロフ』=ピラフや、『シャシリク』=シシカバブを食べさせる屋台のようなチャイハナがある。
 チョルスー・バザールのスパイスの店<イメージ>

クカルダシュ・メドレセ: 16世紀にシャイバニ朝の大臣クカルダシュによって建てられた神学校。帝政ロシアに併合されるまで、このメドレセのある地域は「レギスタン広場」と呼ばれ、タシケントの中心地であった。
 クカルダシュ・メドレセ<イメージ>

ジュマ・モスク: 16世紀に建立された「金曜日のモスク」。地続きの一画には図書室があり、7世紀に書かれたオスマン・クラーンという、世界最古のコーランの写しがある。このコーランはティムールがダマスカスより持ち帰ったものであるが、実物は書庫に保管されており、見学は不可。

バラク・ハーン・メドレセ: ジュマ・モスクの向かいにある、16世紀にシャイバニ朝のバラク・ハーンによって建てられた神学校。ソ連時代は中央アジアのイスラーム教の大本山であった。

〜〜〜新市街〜〜〜
ウズベキスタン歴史博物館: ツム百貨店の近くにある、石器時代から帝政ロシア時代に到る、ウズベキスタンの歴史に関する展示がある。特に興味深いのはアフガニスタンとの国境にある、テルメズ近郊のファヨーズ・テペ遺跡から出土した1〜3世紀の仏像。

ユーヌス・ハーン廟: ナヴォイ大通りの北側にある、15世紀建立の廟。ユーヌス・ハーンは、インドにムガール帝国を築いたバーブル帝の祖父にあたる。

アブドゥールハシム・メドレセ(民芸品工房): 19世紀に建てられた神学校を、民芸品工房として再利用している。学問所の部屋ひとつひとつで民芸品を展示・即売している。

ウズベキスタン美術館: スザニに興味のある方は必見。ここのスザニのコレクションはみごと。他にゾロアスター教(拝火教)の神像や、仏頭など、珍しい展示もある。

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場: 中世のティムールなどを題材にしたオペラ、その他の芝居、バレエなどを観劇できる。9月〜5月がシーズン。

サイールゴフ通り: 通称『ブロードウエイ』。夕方になると「縁日」! 露店や屋台、オープンエアーのカフェが店開きする。シャシリクのお店にはいろいろなシャシリクが並んでいる。店長のお気に入りは脂身を肉で巻いた「なると巻き」のような串。
 「なると巻き」風シャシリク。ほどよく脂がのって美味。ぜひ、お試しあれ!
ウズベキスタン
<ヒヴァ>
<ヒヴァのイチャン・カラ>
ホレズム王国の首都として栄えた、現トルクメニスタンの「
クフナ・ウルゲンチ」。17世紀にアムダリヤ川の流れが変わり水利が絶たれたため、やむなく遷都となったが、それが「ヒヴァ」。その後ホレズムに於けるイスラームの聖都となり、外敵から街を守るため、二重の城壁で囲まれた。旧市街ヒヴァのイチャン・カラは、ユネスコの世界文化遺産に認定されている。

アタ・ダルヴァザ門: イチャン・カラの西門。現在は観光客が出入りする「正門」の役割を担っている。1対の塔が印象的。

クフナ・アルク: アタ・ダルヴァザ門を入り、左手にある城壁で囲まれた城で、「古い城」という意味。城内にはモスク、ハーンの執務室、ハーレム、兵器庫、火薬工場、造幣局などがあった。17世紀からの歴史を持ち、19世紀に再建された『クリヌッシュ・ハーンのアイヴァン』は美しい建築物。

カルタ・ミナル: アタ・ダルヴァザ門を入り、右手にある青いタイルで覆われた美しいミナレット。1852年に建造された。上部が切り取られたようになっているのは、未完成のため。「カルタ」という名は「短い」という意味で、なるほど穿った命名である。完成していれば70mはゆうに超えたであろうと思われる。

ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ: カルタ・ミナルの右奥にある神学校。。ムハンマド・アミン・ハーンによって1852年に建てられた。その規模は中央アジア最大で、最盛期は100人に及ぶ寄宿生がここで学んでいたと言う。1977よりホテルとして営業中。ちなみに隣のメドレセ、『マトニャズ・ディヴァンギ・メドレセ』はレストランとして利用されている。

パフラヴァン・マフムド廟: イチャン・カラの南側にある廟。13〜14世紀に活躍したヒヴァの大臣で、詩人・哲学者としても名を知られたパフラヴァン・マフムドの墓を中心に、14世紀から20世紀に到る様々な時代に建てられた堂宇が並んでいる。中庭にはこんこんと泉が湧いているが、この水を飲んだ女性は美しく、男性は強くなれるという伝説がある。試しては?

イスラーム・フッジャ・メドレセのミナレット: ヒヴァ最後のハーンであるイスフェンディヤル・ハーンの大臣であった、イスラーム・フッジャによって1910年に立てられた神学校に付属するミナレット。このミナレットはヒヴァでいちばん高い45mもの尖塔。このミナレットは登ることができる。イスラーム・フッジャは近代化に尽くしたが、保守的な勢力に抹殺された。建物の一画は食堂(チャイハナ)になっており、シャシリクなどの郷土料理を食べさせてくれる。見学の途中にいかが?

ジュマ・モスク: 美しい多柱式のモスク。最初の建立は10世紀だったが、何度かの修復の末、18世紀末に現在の姿になった。全部で212本の柱がある。柱の一本一本にそれぞれ異なった彫刻が施され、美しい。付属のミナレットは高さ42m(ヒヴァで2番目に高い)で、登ることができる。中央アジア屈指の名刹とされる。

アラクリ・ハーンの建築群: 1830〜1840年にアラクリ・ハーンによって建てられた建築群。主体となる建物は神学校だが、そのほかにバザールやキャラバンサライも同時に建設された。キャラバンサライは現在、百貨店になっている。

タシュ・ハウリ宮殿: 1830〜1838年にアラクリ・ハーンによって建てられた宮殿。クフナ(古い)・アルクに対して、「新しい宮殿」と呼ばれる。ヒヴァでも屈指の豪勢な建築として知られ、美しいタイルや装飾で飾られている。アイヴァンと呼ばれる儀式殿の天井の装飾は特に美しい。ほかに4人の正室の部屋や、ハーレム、ハーンの執務室など、163もの部屋がある。

パルヴァン・ダルヴァザ門: イチャン・カラの東門。東門の近くに奴隷市場があったため、「奴隷の門」とも呼ばれる。
ウズベキスタン
<ブハラ>
<ブハラ歴史地区>
9世紀から1220年のチンギス・ハーン(モンゴル)の来襲まで、中央アジアのイスラームの都として燦然と輝いたブハラ。チンギス・ハーンの侵攻により、カラーン・ミナレット以外のほぼ全てを失ったブハラだが、16世紀のシャイバニ朝の時代に再びイスラームの都として復活した。そして
『ブハラ歴史地区』は、ユネスコの世界文化遺産として現在もなお、燦然と輝いている。

イスマイール・サマーニー廟: 892年から943年にかけて建立された、中央アジア最古のイスラーム建築。9世紀末にブハラを占拠して都と定めたサーマーン朝のイスマイール・サマーニーによって建立された。後に彼や一族も葬られ、サーマーン朝の霊廟となった。日干しレンガを組み合わせた美しい建物で、ブハラでも貴重な建物のひとつとなっている。
 イスマイール・サマーニー廟<イメージ>

チャシュマ・アイユブ: 「預言者ヨブ(旧約聖書に出てくるヨブののこと)の泉」という意味の泉。伝説によると、この地方の人々が水不足に喘いでいたとき、予言者ヨブが杖でこの場所を叩いたところ、水が湧き出したという。泉の上に建てられた建物は円錐形の塔状の屋根と、丸い屋根をもつ。この奇妙な組み合わせは、違う時代の建て増しによるものである。
 チャシュマ・アイユブ<イメージ>

バラハウズ・モスク: 1718年建立のハーン専用のモスク。祝日にはハーンは居城であるアルク城から、絨毯を敷き詰めた道を歩き、このモスクに行幸したという。建物の前面には胡桃の木で造った柱が20本並んでいる。「ハウズ」とは池という意味だが、このモスクの前には石で覆われた池がある。

アルク城: 歴代のブハラのハーンの居城。2,000年以上の歴史を持つ、ブハラ発祥の地といわれるが、実際にこの城の礎がいつ頃築かれたのかは不明。荘厳な城門はレギスタン広場に面している。城内には玉座の間をはじめ、ハーンの部屋、モスクなどがある。城壁の上からはカラーン・ミナレット↓をはじめブハラの町が見渡せるが、足場の悪い場所もあるので注意!
 アルク城<イメージ>

カラーン・ミナレット: チンギス・ハーン率いるモンゴル軍にも破壊されなかった、奇跡の塔で、ブハラのシンボル的存在。高さ46mのブハラで最も高いこの塔は、1127年にカラハーン朝のアルスラン・ハーンによって建てられた。ミナレット内には螺旋階段があり、お布施を納めて登ることができる。塔の上から見るブハラの街は美しい。隣のカラーン・モスクの丸屋根もよく見える。
 カラーン・ミナレット<イメージ>

カラーン・モスク: カラーン・ミナレットの隣。1514年にシャイバニ朝の時代に建立されたこのモスクの回廊は208本の柱で支えられ、光と影がおりなす美しい景観を見せる。回廊の屋上には288個の丸屋根がある。カラーン・モスクの前の美しい建物は、1536年に建造された『ミル・アラブ・メドレセ』

ウルグベク・メドレセ: 二階建ての美しい建物は、教育者としてもその名を馳せたウルグベクが、1418年に建造した、現存する中央アジア最古の神学校。サマルカンドの発展に尽くしたウルグベクがブハラに残した唯一の足跡。メドレセの向かい側にある建物も神学校で、『アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ』という。

3つのタキ: 「タキ」とは交差点に建てられた丸屋根で覆われたバザールのこと。ブハラ旧市街には3つのタキが残されている。北から「宝石商のタキ」であった『タキ・ザルガラン』、「帽子屋のタキ」であった『タキ・テルパクフルシャン』、「両替商のタキ」であった『タキ・サラファン』。タキ・サラファンではユダヤ人の両替商がシビアに商いをしていたという話を聞いた。
 タキ・テルパクフルシャン<イメージ>

ハンマム: ハンマムとはイスラーム世界などで一般的な公衆浴場のこと。ブハラでタキ・テルパクフルシャンの北にある。夕刻までは男性専用で、夕刻以降は予約すれば女性が入れるとのこと⇒ご希望の方は店長まで

マゴキ・アッタリ・モスク 北からタキ・テルパクフルシャンを通り抜け、左側の道を辿ると公園の一画に地中に埋まっているように見える半地下のモスクが見える。10世紀頃に建立されたこのモスクは三層に別れており、それぞれ別の時代に造られたことが確認されている。破壊されるたびに基盤はそのままに、上に新しいモスクが建造されたことを物語っている?

ナディール・ディヴァンベキ・ハナカ: ハナカとは、イスラーム神秘主義の教団の修行の場を言う。17世紀に建てられた建物の中は民芸品の即売所となっている。ウズベキスタンの代表的な布製品などを買うことができる。

ラビハウズ: ナディール・ディヴァンベキ・ハナカと、後述のナディール・ディヴァンベギ・メドレセとの間にある池がラビハウズ。ここに池を作りたいと思ったアブドゥールアジズ・ハーンの大臣ナディール・ディヴァンベギが、奇策を講じて地主から土地を巻き上げたことから「力ずくの池」と呼ばれる。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ: 1622年にナディール・ディヴァンベギによって建てられた建物で、当初はキャラバンサライとなるはずであったが、突如、メドレセとされた。イスラーム建築には珍しく、鳳凰やシカ、顔を持つ太陽が描かれている。ここでは夕刻より『民族舞踊やファッション・ショー』を見ながら郷土料理が食べられる。

チャル・ミナル: 旧市街の東にある。名前は「4本のミナレット」だが、1807年にメドレセの見張小屋として立てられたもので、厳密にはミナレットではない。この周辺は旧市街でも静かな場所で、古き時代のブハラの息吹を感じることができる。

 ブハラのB&B。こんな豪勢な部屋も<イメージ>

<ブハラ郊外>
ブハラ旧市街ではないが、郊外にもみどころがある。
『シトライ・マヒ・ホサ』は最後のブハラ・ハーンの夏の宮殿で、西欧風とイスラーム風が取り入れられた美しい宮殿。ハーンのハーレムの建物は現在スザニの展示館になっている。現在ではなかなか見ることができなくなった「本物のスザニ」を見られる。
ウズベキスタン
<シャフリサーブス>
<シャフリサーブス歴史地区>
シャフリサーブスはソグディアナの都として栄え、7世紀には玄奘もこの地を訪れたといわれている。かのティムールはこの地の出身。市街の公園にはティムールの像が建つ。旧市街にはティムールゆかりの建造物が数多く残されているが、殆どは廃墟となっている。しかしながら、その貴重な
『シャフリサーブス歴史地区』は、ユネスコの世界文化遺産に認定されている。

アク・サライ宮殿跡: ティムール像のある公園の北にある史跡。1380年着工、1405年竣工(この時にはすでにティムールは亡くなっていた)のティムールの残した最大の建造物で、現在は入り口の門の廃墟のみが残っている。宮殿そのものは現在ティムール像の建つ公園一帯であったとされる。

ドルッティロヴァット建造物群: バザールの南、イパク・イューリ通りに面した建造物群。ここにはウルグベクが1436年に建立した『コク・グンバス・モスク』、ウルグベクが子孫のために建てた廟『グンバズィ・サイーダン廟』、1374年にティムールが父の墓所として建てた『シャムスッディン・クラル廟』などがある。

ドルッサオダット建造物群: ドルッティロヴァット建造物群の東にある建造物群。ここには街いちばんの名刹『ハズラティ・イマーム・モスク』、ティムールが戦死した嫡男のために建てた『ジャハンギール廟』、ティムールの次男の廟『ウマル・シェイヒ廟』などがある。
ウズベキスタン
<サマルカンド>
<サマルカンド―文化交差点>
「青の都・サマルカンド」という言葉は、中央アジアに対する憧れを呼ぶ響きがある。サマルカンドを見たくてウズベキスタンを訪れる人も多い。ソグド人によって繁栄の一途を辿ったこの街は1220年のモンゴルの襲撃で滅亡し、のちティムールによって再建された。『レギスタン広場』に象徴される
サマルカンド―文化交差点』は、ユネスコの世界文化遺産に認定されている。

レギスタン広場: チンギス・ハーン率いるモンゴル軍が去った後、サマルカンドの商業を担う場所となった。ティムールの時代にはバザールが、孫のウルグベクの時代には『ウルグベク・メドレセ』が建造された。時代が下り、シャイバニ朝の時代に『シェルドル・メドレセ』と『ティラカリ・メドレセ』が建てられ、現在見られる姿になった。各メドレセの部屋は土産物屋さんとなっており、ウズベキスタン各地のお土産が売られている。なかでも楽器のお店は珍しい楽器が展示即売されており、ぜひ探してみていただきたい。『音と光のショー』がシーズン中の夜に催されるが、日本語によるものもある。
 レギスタン広場<イメージ>

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ウルグベク・メドレセ: ウルグベクにより1420年に建てられた神学校で、レギスタン広場最古の建造物。メドレセではウルグベク自ら教鞭を振るったという。天を支えるという意味のある左右のミナレットは、天の重さで傾いてしまったという。メドレセ正面の門に描かれた幾何学模様の装飾はとても美しく、印象に残る。広場の向かって左(西)側にある。

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シェルドル・メドレセ: 1636年に竣工した神学校。かつてはイスラーム神秘主義教団の修行場であったハナカの跡に建てられた。ここの特徴は、門のデザイン。「シェルドル」とは「獅子が描かれた」という意味だが、門の隅には「顔を描いた太陽を背負った獅子の姿」がタイルで描かれており、イスラーム建築としては珍しい。広場の向かって右(東)側にある。

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ティラカリ・メドレセ: レギスタン広場の正面にある、1660年に建てられた神学校。左右対称ではなく、青いタイルの礼拝堂の立派なドームが左寄りに建てられている。「ティラカリ」とは「金箔を貼った」という意味があり、実際に礼拝堂の天井には金が贅沢に使われている。

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チョルスー: シェルドル・メドレセの北側を注意してみると、丸屋根の建物が見える。これは『チョルスー』と呼ばれ、かつて交差点に設けられた室内バザール。ブハラでは「タキ」と呼ばれているものと一緒。

グリ・アミール廟: サマルカンド観光のハイライトのひとつ。ティムールや彼の息子たち、孫のウルグベクなどが眠る霊廟。1404年に竣工した。もともとティムールは戦死した孫のムハンマド・スルタンの廟として建造したが、完成の翌年、ティムール自身が中国遠征の途上で戦病死し、ここに葬られた。目の前の廟は『ルハバット廟』という14世紀の建物。
 グリ・アミール廟<イメージ>

ビビハニム・モスク: かつてはイスラーム世界に於ける最大のモスク。ティムール自身が建立の指揮をとったという。あまりにも建設を急ぎすぎ、そしてあまりにも巨大すぎたこのモスクは、ティムール薨去と前後して崩落がはじまり、やがて廃墟となってしまったという。

シヤブ・バザール: ビビハニム・モスクの近くにある、サマルカンドの庶民の台所。史跡・名刹ではないが、ぜひ立ち寄ってみたい。サマルカンドの名物はナン。さまざまな装飾が施されたナンは、食べてしまうのがもったいないくらい。もちがよいので、お土産にいかが?また、質のよい蜂蜜も手に入る。おなかが空いたらシャシリクも食べられる。

シャーヒズィンダ廟群: サマルカンドに於けるイスラームの聖地。また、サマルカンド観光のハイライトのひとつ。ティムールゆかりの人々が眠る美しい霊廟が立ち並ぶ様は壮観。いちばん古い廟は11世紀建立の『クサム・イブン・アッバース廟』で、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍にも破壊されなかった。この廟は聖地となっており、巡礼者が絶えない。
 シャーヒズィンダ廟群<イメージ>

アフラシャブの丘: サマルカンドの北東の丘の上にある、『旧サマルカンドの遺跡』。かつてはソグド人が建設した美しい町であったが、モンゴル軍によって徹底的に破壊され、生き残った人もこの町を捨て、現サマルカンドに移住したとされる。ソグド人のフレスコ画は高い技術で知られるが、丘の麓にある『歴史博物館』でそれを知ることができる。


ウルグベクの天文台跡: ウルグベクによって造られた天文台跡。望遠鏡の無い時代にじつに緻密に天体観測が行われていた。当時の学問の深さに驚かされる。
ウズベキスタン
<その他の街>
<ギジュドゥヴァン>
ブハラからサマルカンドに向かう街道は、シャフリサーブスを経由する山の街道と、ギジュドゥヴァンを経由する平地の街道がある。ギジュドゥヴァンの村は
陶器で知られ、陶工が多数いる。黄色・緑を主体とした厚手のギジュドゥヴァンの陶器は見た目にも美しく、よいお土産になる。

アイダルクル湖
遊牧民を偲ぶ旅はいかが?ラクダに乗って、ユルタに泊まり、遊牧民体験ができるのはアイダルクル湖の湖畔。アイダルクル湖では夏の間、泳ぐこともできる。湖では漁師が大きな魚を釣っている姿を見られるかもしれない。水着は必携
ちょっと変わったウズベキスタンの旅は店長におまかせ!
 ユルタに泊まってみたい・・・<イメージ>

ウルゲンチ近郊

ウルゲンチはヒヴァ観光の拠点となることで知られる街だが、ヒヴァ以外にもみどころがある。かつての都城“カラ”が近郊に点在する。代表的なものは、紀元前1世紀〜紀元前5世紀に栄えたシャー・ウシュ朝の都城『トプラク・カラ』、モンゴル軍に滅ぼされるまでは重要な都城のひとつであった『クワット・カラ』、ふたつの都城が隣接する双子都市『アヤズ・カラ』などがある。

<ヌクスとアラル海>
消え行く湖、アラル海も観光ができる。拠点になるのはヌクス。ヌクスから北上したモイナックの町外れがアラル海の『かつての海岸線』。かつて海だったところは『船の墓場』と化している。アラル海の現在の海岸線は見ることはできなくなってしまっている。ここに来たらぜひ、環境問題も考えてみたい。

<フェルガナ盆地>
フェルガナ盆地は、ウズベキスタン東部、キルギスやタジキスタンに包まれるようにしてある、風光明媚な地域。中心となる街は
『フェルガナ』で、フェルガナ盆地の歴史・文化・民俗などに関する展示のある郷土資料館がある。近郊には絹の産地として知られる『マルギラン』や、ギジュドゥヴァンとならぶ陶器の街『リシタン』、19世紀の前半に栄えたコーカンド・ハーン国の都で、最後のハーンであったフダヤル・ハーンの宮殿や、ハーンたちの墓所であるダフマイ・シャーハーン廟そしてモダリ・ハーン廟のあるコーカンドがある。

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アクセス方法と他国との組み合わせ
  トルクメニスタン タジキスタン ウズベキスタン
直行便 なし なし 直行便あり
経由1 ウズベキスタンのタシケント: タシケントまでは日本からウズベキスタン航空の直行便がある。タシケントからアシュガバッドまではウズベキスタン航空が就航している。
ウズベキスタンのタシケント: タシケントまでは日本からウズベキスタン航空の直行便がある。タシケントからペンジケント⇒ドゥシャンベまではサマルカンドを経由してゆくのが一般的。 韓国のソウル: ソウルまでは日本からアシアナ航空の直行便がある。ソウルからタシケントまではアシアナ航空が就航している。
経由2 トルコのイスタンブール: イスタンブールまでは日本からトルコ航空の直行便がある。イスタンブールからアシュガバッドまではトルコ航空が就航している。
トルコのイスタンブール: イスタンブールまでは日本からトルコ航空の直行便や、他社の経由便がある。イスタンブールからドゥシャンベまではタジク航空が就航している。
トルコのイスタンブール: イスタンブールまでは日本からトルコ航空の直行便がある。イスタンブールからタシケントまではトルコ航空が就航している。
経由3 タイのバンコク: バンコクまでは日本から直行便が多数ある。バンコクからアシュガバッドまではトルクメニスタン航空航空が就航している。 ドイツのミュンヘン: ミュンヘンまでは日本からフランクフルトや欧州諸都市経由で便がある。ミュンヘンからドゥシャンベまではタジク航空が就航している。 タイのバンコク: バンコクまでは日本から直行便が多数ある。バンコクからタシケントまではウズベキスタン航空航空が就航している。
国内線 アシュガバッドとダシュホヴズ(クフナ・ウルゲンチ観光の拠点)、トルクメンバシュ(カスピ海観光の拠点)などに便がある。 基本的になし タシケントとサマルカンド、ブハラ、ウルゲンチ(ヒヴァ観光の拠点)、ヌクス(アラル海観光の拠点)などに便がある。
他国との組み合わせ トルクメニスタンとタジキスタンをウズベキスタンを拠点にして訪れる詳しくは店長まで
他国との組み合わせ
その具体例 
例えばトルクメニスタン+タジキスタン+ウズベキスタン: ウズベキスタン到着後、ウルゲンチに飛んでヒヴァを観光。ヒヴァから国境を越えてトルクメニスタンに入り、クフナ・ウルゲンチを観光、その晩にアシュガバッドへ。次にメルヴを見て、ウズベキスタンに戻り、ブハラを経由してサマルカンドへ。サマルカンドからタジキスタンのペンジケントを日帰りで観光する。最後にサマルカンドのレギスタン広場を観光し、再びタシケントへ。名物シャシリクを食べて帰途に着く。

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