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中央アジア・シルクロード(2)
カザフスタン/キルギス/
ウズベキスタン

国のあらましみどころ&アクティビティアクセス方法と他国との組み合わせ

旧ソ連の中央アジアには5つの国があります。中央アジアで最大の面積を持つカザフスタン、天山山脈の西に位置する美しい山国キルギス、パミール高原の北に位置するペルシャ系民族が住まう山国タジキスタン、数々の歴史の舞台に登場する世界遺産の宝庫ウズベキスタン、カスピ海に面した砂漠の国トルクメニスタン。中央アジア・シルクロード(1)では、そのうちトルクメニスタン、タジキスタン、ウズベキスタンをご紹介します。この三カ国にはユネスコの世界文化遺産をはじめ、貴重な史跡がたくさんあります。シルクロードの要衝として栄えた時代を偲ぶ旅に出かけてみませんか?

カザフスタンは世界で9番目に広い国土を持つ国。その広い国土には様々な地形が存在します。砂漠もあれば、高山を抱いた山岳地帯もあり、大草原も・・・ という具合に実に変化に富んでいます。帝政ロシアの時代からソ連時代まで、ロシアの影響を強く受けたこの国は、中央アジアにあって最もヨーロッパの雰囲気を感じることのできる国でもあります。それでも南部の街を訪れると、そこにはシルクロード時代の面影を感じることができます。1997年12月の遷都により首都を北部のアスタナに譲ったアルマトゥですが、いまでも文化・商業・観光の中心となっています。キルギスや新疆(中国)観光の拠点として人々が通過する国ですが、できればもう、1〜2泊してシルクロードの時代を偲んでみたいもの。

キルギスは天山山脈の西にある山国です。この国を有名にしているのは、ソ連時代には外国人が訪れることのできなかった神秘の湖『イシク・クル湖』と、勇壮な騎馬遊牧民族の子孫であるという証である『騎馬競技』の数々。そして騎馬遊牧民族であった祖先たちの軌跡を偲ぶことができる遺跡の数々・・・ 首都ビシュケクや、イシク・クル湖の北には美しい渓谷があり、訪れる人を癒してくれます。フェルガナ山脈を越えて訪れることのできる「南の首都」と云われるオシュでは、様々な民族が行き交う姿を見ることができます。トルガルト峠を越えて中国のカシュガルに抜ける道は、現在のシルクロード旅行のハイライト。小さな国ですが、この国には歴史や文化、そして自然の織り成す魅力があふれているのです。

ウズベキスタンは日本からの直行便が就航し、上記2カ国を旅行する際に拠点となる国です。ウズベキスタンを単独で訪れても感動の波が続きます。『ヒヴァのイチャン・カラ』『ブハラ歴史地区』『シャフリサーブス歴史地区』『サマルカンド―文化交差点』の4つがユネスコの世界文化遺産に認定されている、史跡の宝庫です。それぞれの地区にはイスラーム建築文化を代表する貴重なモスク、神学校、宮殿などが数多く残されています。また、ギジュドゥヴァンやリシタンといった美しい陶器や、伝統の刺繍スザニなど、工芸品でも重要なものが多い国です。ラクダに乗って砂漠を歩き、遊牧民の天幕ユルタに泊まる旅もウズベキスタンの魅力です。

 ウズベキスタン: サマルカンドのレギスタン広場<イメージ>

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国のあらまし
  カザフスタン キルギス ウズベキスタン
正式国・地域名 カザフスタン共和国 キルギス共和国 ウズベキスタン共和国
面積 約2,717,300ku 約199,900ku 約447,400ku
首都・首府 アスタナ ビシュケク タシケント
元首/政体 元首: ナザルバーエフ・スルスルタル・アビシュヴィチ大統領
政体: 共和制
元首: (アカーエフ・アスカル・アカーエヴィチ大統領)注:05年5月21日現在アカエフ政権は崩壊し、バキエフ大統領代行(首相兼任)が暫定政権を発足させている。
政体: 共和制
元首: カリーモフ・イスラーム・アブドゥガニェヴィチ大統領
政体: 共和制
人口/民族構成 人口: 約15,010,000人
民族構成: カザフ人が約53.4%。ロシア人が約30%。ほかにウクライナ人、ウズベク人、ドイツ人、タタール人、ウイグル人、ベラルーシ人、朝鮮人など
人口: 約5,000,000人
民族構成: キルギス人が約64.9%。ほかにウズベク人、ロシア人、ウクライナ人、ウイグル人など
人口: 約2、510,000人
民族構成: ウズベク人が約77%。ほかにロシア人、タジク人、カザフ人、カラカルパクスタン人、タタール人、キルギス人、トルクメン人など
宗教/言語 宗教: イスラーム教ほか
言語: 公用語:カザフ語(国家語)。
     ロシア語
宗教: イスラーム教ほか
言語: 公用語:キルギス語(国家語)。
     ロシア語
宗教: イスラーム教ほか
言語: 公用語:ウズベク語。
     ロシア語も通じる
通貨と為替 カザフスタン・テンゲ(Tg)。補助単位はない。
紙幣:3、5、10、20、50、100、200、
500、1000、2000、5000Tg。
為替レート:1Tg=約0.8円(2005年調べ)。
キルギス・ソム(CoM)。補助単位はティン(Tin)。
紙幣:1、10、50Tin、1、5、10、20、
50、100、200、500、1000CoM。
為替レート:1CoM=約2.54円(2005年調べ)。
ウズベキスタン・スム(Cym)。補助単位はない。
紙幣:1、3、5、10、25、50、100、
200、500、1,000
硬貨:5、10、50
為替レート:1Cym=約0.1円(2005年調べ)。
ビジネス・アワー 官公庁: 月〜金の9:00〜17:00位
会社: 月〜金の9:00〜17:00位
銀行: 月〜金の9:00〜17:00位
     土の午前中やっている所も
お店: 月〜金の10:00〜18:00位
レストラン: お店によって営業時間が違うので確認が必要
官公庁: 月〜金の9:00〜17:00位
会社: 月〜金の9:00〜17:00位
銀行: 月〜金の9:00〜17:00位
     土の午前中やっている所も
お店: 月〜金の10:00〜18:00位
レストラン: お店によって営業時間が違うので確認が必要
官公庁: 月〜金の9:00〜17:00位
会社: 月〜金の9:00〜17:00位
銀行: 月〜金の9:00〜17:00位
     土の午前中やっている所も
お店: 月〜金の10:00〜18:00位
レストラン: お店によって営業時間が違うので確認が必要
時差とサマータイム GMT+4からGMT+6の幅がある。
観光客に関係のあるアルマトゥ、シムケントなどはGMT+6
(以下、上記を基準とする)
日本より3時間遅れている。
日本が正午のとき、上記の都市は午前9時。
サマータイム時は日本より2時間遅れ。日本が正午のとき、上記の都市は午前10時。
日本より4時間遅れている。
日本が正午のとき、キルギスは午前8時。

サマータイム時は日本より3時間遅れ。
日本が正午のとき、キルギスは午前9時。
日本より4時間遅れている。
日本が正午のとき、ウズベキスタンは午前8時。
サマータイムはない。
気候と旅行シーズン 典型的な大陸性気候。しかし、カザフスタンにはさまざまな地形が存在するため、地域によってかなりの格差がある。観光客に関係のあるアルマトゥ、シムケントなどは天山山脈に近く、山間の尾根上にある。標高は700〜900m。上記の都市は夏場はかなり暑くなり、時として最高気温が40℃を超える。冬は氷点下にもなる。夏場でも朝晩ひえこむことがあるので、羽織れるものを用意したい。冬以外の日差し対策も必要。 典型的な大陸性気候。しかし、キルギスにはさまざまな地形が存在するため、地域によってかなりの格差がある。首都のビシュケクの標高は700〜850m。夏季はかなり暑くなり、時として最高気温が40℃を超えることもある。冬季は氷点下にもなる。旅行のシーズンは一般に5〜10月といわれる。夏場でも朝晩ひえこむことがあるので、羽織れるものを用意したい。冬以外の日差し対策も必要。 典型的な大陸性気候。夏季はかなり暑く、砂漠地帯などでは時として最高気温が50℃以上になることもある。逆に冬はかなり寒く、最低気温が氷点下になることも。旅行シーズンは一般に4〜6月と9〜10月と云われる。冬以外でも朝晩冷え込むことがあるので、羽織れるものを用意したい。冬以外の日差し対策も必要。
電圧とプラグ 電圧220V、50Hz。
プラグは『C』タイプ。
電圧220V、50Hz。
プラグは『C』タイプ。
電圧220V、50Hz。
プラグは『C』タイプ。
電話 国際電話は電話局からかけられる。
*日本からカザフスタンへ:国際電話会社番号+国際電話識別番号010+カザフスタンの国番号7+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
*カザフスタンから日本へ:国際電話識別番号8(トーンを確認)−10+日本の国番号81+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
国際電話は電話局からかけられる。
*日本からキルギスへ:国際電話会社番号+国際電話識別番号010+キルギスの国番号996+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
*キルギスから日本へ:国際電話識別番号00+日本の国番号81+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
国際電話は電話局からかけられる。
*日本からウズベキスタンへ:国際電話会社番号+国際電話識別番号010+ウズベキスタンの国番号998+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
*ウズベキスタンから日本へ:国際電話識別番号8(トーンを確認)−10+日本の国番号81+市外局番(最初の0を取る)+相手の電話番号
水道水の飲用不可。ミネラル・ウォーターか湯冷ましを飲むほうがいい。 水道水の飲用不可。ミネラル・ウォーターか湯冷ましを飲むほうがいい。 水道水の飲用不可。ミネラル・ウォーターか湯冷ましを飲むほうがいい。
チップ チップの習慣はない。しかし、ガイドに最後の日に渡すのは慣例となっている。一日につき10ドルぐらいがめやす。 チップの習慣はない。しかし、ガイドに最後の日に渡すのは慣例となっている。一日につき10ドルぐらいがめやす。 チップの習慣はない。しかし、ガイドに最後の日に渡すのは慣例となっている。一日につき10ドルぐらいがめやす。
入出国関係 パスポートの残存有効期間: ビザ申請時6ヶ月以上の残存有効期間が必要。
ビザ: 必要
滞在登録: 必要。ガイドが代行。
パスポートの残存有効期間: 入国時6ヶ月以上の残存有効期間が必要。
ビザ: 不要

滞在登録: 必要。
パスポートの残存有効期間: ビザ申請時6ヶ月以上の残存有効期間が必要。
ビザ: 必要。
滞在登録: 必要。

上記に『ビジネスアワー/電圧とプラグ/電話』をご案内しております。
1.
ビジネスアワーについては平均的な営業時間帯を採用しております。しかし、全ての機関や会社、お店、レストランがその通りの時間帯で営業しているとは限りません。出発前もしくは現地に到着後、ご確認されますよう、お願い致します。
2.電圧とプラグについてはなるべく政府関係・政府観光局関係の資料を基に作成してありますが、ホテルによっては個別のアウトレット(コンセントの穴)を設置している場合がございます。アウトレットによって使用できるプラグの形が決まります。ご出発前にご確認されますよう、お願い致します。
3.
電話のかけ方は一般的に電話局などから日本に直通電話をかける場合のかけ方をご紹介しております。かける場所(公衆電話、カード式公衆電話、空港や駅に設置の電話、ホテルの部屋に設置の電話)によってかけ方は異なります。ホテルから電話をおかけになる場合はフロントで、また、弊社の「ホテルでの宿泊を伴う現地発着プラン」を申し込まれたお客様はガイドや現地係員などにホテルから電話をかける方法をお聞き下さい。一部の国・地域では電話局からしかかけられない場合があります。また、コレクトコールのできない国・地域もございます。

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みどころ&アクティビティカザフスタンキルギス/ウズベキスタン<タシケント><ヒヴァ><ブハラ><シャフリサーブス><サマルカンド><その他
カザフスタン カザフスタンには3つの観光地がある。ウズベキスタンのタシケントに近い『シムケント/オトゥラル/トルキスタン』、シムケントからキルギスのビシュケクに向かう街道上にある『タラズ』、そして、遷都によって首都としての地位を失ったが、今もなお、「文化・観光・商業の都」として君臨している『アルマトゥ』。上記の順番にご案内したい。

シムケント/オトゥラル/トルキスタン
ウズベキスタンのタシケントからアルマトゥ、ビシュケク(キルギス)方面に行く際、最初に出会う都市が「シムケント」。モンゴル軍によって壊滅に追い込まれた『オトゥラル遺跡』の観光の拠点となるのが「オトゥラル」。そして、世界文化遺産『コジャ・アフメド・ヤサウィ廟』参拝の基地となるのが「トルキスタン」

シムケント
郷土史博物館: 中央公園の南にある博物館。ここにはオトゥラル遺跡からの出土品が展示されている。

オトゥラル
オトゥラル遺跡: 10世紀から13世紀にかけて繁栄した、中央アジアの主要都市のひとつ。1219年にチンギス・ハーンに率いられたモンゴル軍に蹂躙され、全てが破壊された。現在は廃墟となっているが、当時の町の状態がわかる。

トルキスタン
コジャ・アフメド・ヤサウィ廟: 12世紀にイスラーム神秘主義のヤサウィ教団を創設し、この地方にイスラーム教の布教に勤めた聖人、コジャ・アフメド・ヤサウィの廟。この廟は14世紀末にティムールによって建立された。中央アジアのイスラーム建築でも最大級の規模を持つ、美しい廟。境内にはコジャ・アフメド・ヤサウィが63歳を一期に地下に隠遁し、更なる修行を積んだとされる『クルウェトの地下モスク』が残されている。現在も中央アジアきっての聖地とされ、巡礼者は後を絶たない。ユネスコの世界文化遺産に認定された。

<タラズ>
シムケントの東約170kmに位置する街。この街の歴史は古く、その基礎は2,000年以上昔に築かれたとされる。8世紀の半ばにタラス川のほとりで、唐軍とアラブ軍が激突。この東西の文化の邂逅は、西方に製紙法が伝わるという結果を見た。シルクロード上の重要な中継地として栄えたタラズは、10世紀〜12世紀にはカラハーン朝の首都として君臨した。

カラハーン廟: 11世紀にカラハーン朝の統治者として君臨したアブドゥウ・カリム・カラハーンお廟。地続きの一画にある小さな廟は、13世紀のダウトベク廟

アイシャ・ビビ(后)廟: タラズの西にある、伝説のカラハーンの后、アイシャ・ビビの廟と伝えられる12世紀に建てられた廟がある。カラハーンとの婚礼の直前に非業の死を遂げたアイシャ・ビビの伝説は、現在も語り継がれている。近くには彼女の乳母ババジ・カトゥンの廟といわれる11世紀に建てられた廟もある。
=カラハーンと知り合い結婚を誓い合った、サマルカンドの商人の娘アイシャだが、父親がそれを許さなかった。しかし、母親はアイシャに同情し、彼女に乳母のババジ・カトゥンを付けて、カラハーンのいるタラズに向かわせた。ところが婚礼衣装を岸に置いてタラズ川で身を清めたアイシャが婚礼衣装をまとおうとした際、衣装に紛れ込んだ毒蛇によって彼女は死に瀕する。ババジに急を告げられたカラハーンがタラズ川に辿り着き、その場で婚礼を挙げる。アイシャはこうして后(ビビ)として亡くなった=

<アルマトゥ>
カザフスタンの旧首都。現在も文化・商業そして観光の都として君臨している。アルマトゥとは「りんごの里」という意味で、かつては街中にりんごの香りが漂っていたという。街からは天山山脈を見晴るかすことができ、街中や郊外にはみどころ、観光地が多い。中央アジア旅行の中継点として通過するだけという人も多いが、ぜひもう1〜2泊して、アルマトゥの魅力に浸ってほしい。

国立中央博物館: カザフスタンの歴史や文化など、数々の展示がある。紀元前5世紀ごろの古代スキタイ人の古墳から発掘された『黄金人間』のミニチュアがあることで知られる。本物はどこにあるか不明だが、ミニチュアでもスキタイ人の栄華を偲ぶことができる。

考古学博物館: 古代スキタイ人の古墳から出土した『黄金人間』のレプリカがある。レプリカでもスキタイ人の栄華を偲ぶことができる。実物はいったいどこに?答える人によって現存する場所が異なるのが不思議。

カザフ民族楽器博物館: カザフスタンに伝わる伝統的な楽器が数多く展示されている。
民族音楽に興味のある人は必見。建物自体が木造で、趣がある。

28人のパンフィロフ戦士公園: 第二次世界大戦の対ナチス・ドイツ戦に於いて、カザフから出征し、モスクワ防衛のために戦って散ったパンフィロフ将軍以下28名の戦士を記念して造られた。

中央バザール: カザフスタンのさまざまな食材が売られている、民族色豊かな人種の坩堝。シャシリクなどの郷土料理を食べさせてくれる店もあるが、朝鮮系の人々が売っているキムチも買ってみたい。

コクトベの丘: 標高1,070mで、この丘に登るとアルマトゥの街が見渡せる。頂上に展望台と休憩所がある。

(郊外)
チャリン・キャニオン: アルマトゥの東約200kmにある国立公園の中の絶景の峡谷。ミニ・グランドキャニオンという感じ。

タムガルの考古学景観の岩絵(タンバル・タス): アルマトゥの東約180kmにある岩絵。青銅器〜鉄器時代に描かれたもので、動物、狩猟、神などの原始宗教に関する絵などが主。ユネスコの世界文化遺産に認定されている。
キルギス
キルギスは国土の殆どが標高1,000mを越える、山国。東部には中国国境にある天山山脈が望め、「神秘の湖」と呼ばれるイシク・クル湖の南部ではところどころ、湖に直接落ち込むような山の景色が見られる。首都は高原都市ビシュケク。郊外の渓谷へのハイキングも楽しみ。かつての都の遺跡も残されている。8月31日の独立記念日には、遊牧騎馬民族の流れを汲む勇壮な騎馬競技がいくつかの競技場で催される

<ビシュケク>
ソ連時代には「フルンゼ」と呼ばれていた高原都市で、キルギスの首都。市の南部には
万年雪を頂くアラ・トーの山々が望める。旧ソ連の都市計画に則って建設された都市のため、古色を帯びたみどころはないが、街全体が公園のように美しい。公園のような大通り『マラダーヤ・グバルジア通り』と『エルキンディック通り』は是非、散策してみたい。

国立歴史博物館: 市の中心にあるアラ・トー広場にある歴史博物館。ここでの見ものは、キルギス国内で発掘されたスキタイ系民族のサカ族の青銅器や装飾を施した石人など。また、遊牧民族の移動式テントであるユルタや民具など、珍しいものが見られる。

マナス王の像: 馬上で剣を振るう伝説の英雄・マナス王の像がフィラルモーニヤ・コンサート・ホールの庭に建っている。このマナス王は、キルギス人が1000年以上も昔から一大叙事詩の主役として語り続けている。マナスの語り手は「マナスチ」と呼ばれ、現在もキルギス随一の伝統芸能として、語り続けている。

オシュ・バザール: ビシュケクを代表とするバザール。キルギス国内のあらゆる食材が売られている。キルギス人だけではなく、ウズベク人や朝鮮民族の売り場もあり、キムチなども売られている。遊牧民の多いお国柄か、バターやチーズなどの乳製品の種類が豊富。

<ビシュケク郊外>
*アラ・アルチャ自然公園: ビシュケクの郊外にある、2万ヘクタールに及ぶ自然公園。入り口から川を遡ってゆくと、アルピニスト・センター(標高2,000m)があり、登山者の拠点となっている。トレッキングや登山も楽しめる。この
自然公園のウリは、遠くの氷河がハイキングで見られること。

<イシク・クル湖への道>
イシク・アタ渓谷: ビシュケクからイシク・クル湖に向かう街道からそれて、南下するとイシク・アタ渓谷がある。ここは温泉場として有名で、保養所もあり、宿泊も可能。イシク・アタ渓谷ではハイキングも楽しめる。歴史的なみどころとしては保養所の敷地の中に8世紀頃に刻まれた『薬師如来の線刻画』がある。

*クラースナヤ・レーチカ遺跡: イシク・アタ渓谷への道と、イシク・クル湖への街道の分岐点の近くにある遺跡。7世紀〜9世紀に栄えた仏教遺跡で、ここから長さ11mに及ぶ巨大な釈迦如来の像が出土したことで知られる。

アク・ベシム遺跡: イシク・クル湖への街道上にある、『石人の見つかったトクマク』から分岐する道を南下すると、6世紀から12世紀にかけて栄えた仏教寺院跡・「アク・ベシムの遺跡」がある。これが唐の時代に砕葉城と呼ばれた場所で、7世紀に玄奘が突厥の王に拝謁した場所。

バラサグン遺跡とブラナの塔: アク・ベシム遺跡の南にあるのが『バラサグン遺跡』。10世紀から13世紀にかけて栄えたカラハーン朝の国の首都のひとつであると思われる。遺跡内には古墳や堂宇、キルギス各地から集められた石人がある。また、近くの草原には11世紀に建造された美しい『ブラナの塔』がある。かつては45mの高さがあったが、今は上部がなくなっている。

<イシク・クル湖を一周すると・・・>
キルギスの北東部に位置する、
ソ連時代には外国人の立入が禁止されていた神秘の湖。北のクンゲイ・アラ・トーと、南のテルスケイ・アラ・トー、2つの山脈に挟まれている。湖畔にはみどころが多い。時間があれば一周してみたい。北岸と南岸では風景が異なり、景色の変化が楽しめる。イシク・クル湖の湖畔では伝統の鷹匠のデモンストレーションを見ることができる。

バルクチ: ビシュケクからイシク・クル湖に向かう街道は、バルクチで北岸の道、南岸の道のふたつに分かれる。イシク・クル湖西端に位置するバルクチは素朴な街で、近郊にはユルタを利用したレスト・ハウスがあり、食事やお茶が楽しめる。

ボコンバエフ: イシク・クル湖南岸にある村。イシク・クル湖とテルスケイ・アラ・トーに挟まれているこの村には民宿があり、
鷹匠のデモンストレーションも頼めば見せてくれる。素朴な村での一夜は思い出に残るかもしれない。

カラコル: イシク・クル湖の東端にある街。標高は1,690mから1,990mの高原にあり、ポベダ峰(7,439m)を主峰とする天山山脈や、テルスケイ・アラ・トーの山々へのトレッキングや登山の基地となっている。郊外には「7頭の牛」を意味する赤い奇岩『ジェティ・オグズ』や、標高3,000mにある湯治場で、湯治宿もある『アルティン・アラシャン』などの観光地がる。

アク・ブラック: カラコルから北岸に回りこみ、チョルポン・アタに向かう途中の北岸にある村。ここにはスキタイ系の民族サカ族の古墳である『クルガン』がある。騎馬遊牧民族であるサカ族はその勇壮さで知られており、紀元前800年頃には交易によって栄えていたと思われる。

チョルポン・アタ: イシク・クル湖の北岸にある避暑地。夏場は湖水浴客で賑わう。ここから見る南岸のテルスケイ・アラ・トーは万年雪を頂いており、美しい。チョルポン・アタ郊外にはクンゲイ・アラ・トーから流れ出る『チョン・アクスー渓谷』があり、針葉樹林でハイキングが楽しめる。また、4,000年前頃から描かれた動物等の岩絵を展示する『岩絵野外博物館』もある。
鷹匠のデモンストレーションも頼めば見せてくれる。保養所やホテルもあるが、民宿もあるので、希望に合わせてアレンジができる。詳しくは店長まで

<オシュ>

キルギス南部、フェルガナ地方にある第二の都市。人口の3割ほどがウズベク人で、キルギス人に拮抗している。バザールなどを訪れると、売買における両者の掛け合いなどが見られ、面白い。この地には霊山として有名な『スレイマン山(ソロモン山)』がある。街に古色を帯びたものは少ないが、こじんまりとしたモスクなどが聖地らしさを演出してくれる。

スレイマン山: 預言者スレイマン(旧約聖書に出てくるソロモン王)の霊山として巡礼者が絶えない、南キルギスの聖地。この山が古くから重要視されていたことは事実で、山の洞窟からは新石器時代の遺跡が発見されている。洞窟のひとつは『文化史博物館』となっており、遺跡からの出土品などが展示されている。

オズギョン: オシュの郊外、北東70kmのアラダリヤ側右岸にある、カラハーン朝の都の跡。古くからトルコ系とイラン系の民族・文化の境界線であったが、11世紀の初めにはカラハーン朝が南下してサーマーン朝を滅ぼし、それ以降はフェルガナ地方の中心として繁栄した。13世紀にカラハーン滅亡してからは衰退の一途を辿った。オズギョンには統治の繁栄を偲ぶものとしては唯一、『オズギョン歴史建造物群』が残されている。現存するのはカラハーン朝の栄えていた11世紀末に建てられ、後に上部が倒壊してから増築されたミナレット、そして霊廟がある。霊廟は左右に建物を従えた立派な姿だが、実は3つの建物が別々の時代に建てられたことが確認されている。
ウズベキスタン
<タシケント>

ウズベキスタンの国のみどころはあまりにも多く、駆け足で訪ね歩いても一週間はかかる。まずは首都の「タシケント」でバザールなどを、そして4つの世界遺産「ヒヴァ」「ブハラ」「シャフリサーブス」「サマルカンド」。陶器の町「ギジュドゥヴァン」、ラクダに乗って遊牧民の天幕・ユルトに泊まれる「アイダルクル湖」、存亡の危機に瀕した「アラル海」も時間があれば訪れたい。

<タシケント>
タシケントはウズベキスタンの首都。街は大きくイスラーム文化の息づく迷路のような「旧市街」と、ソ連時代を彷彿とさせる広い「新市街」からなる。ホテル、レストランの多くは新市街にある。
 タシケントを走る市電<イメージ>

〜〜〜旧市街〜〜〜
チョルスー・バザール: タシケントの庶民の台所である巨大なバザール。室内と屋外に店は分かれており、室内の一階には乳製品をはじめ香辛料、パン&ケーキなど、二階にはドライ・フルーツの店が目立つ。屋外には青果市場が広がり、その間にはウズベキスタンの国民食『プロフ』=ピラフや、『シャシリク』=シシカバブを食べさせる屋台のようなチャイハナがある。
 チョルスー・バザールのスパイスの店<イメージ>

クカルダシュ・メドレセ: 16世紀にシャイバニ朝の大臣クカルダシュによって建てられた神学校。帝政ロシアに併合されるまで、このメドレセのある地域は「レギスタン広場」と呼ばれ、タシケントの中心地であった。
 クカルダシュ・メドレセ<イメージ>

ジュマ・モスク: 16世紀に建立された「金曜日のモスク」。地続きの一画には図書室があり、7世紀に書かれたオスマン・クラーンという、世界最古のコーランの写しがある。このコーランはティムールがダマスカスより持ち帰ったものであるが、実物は書庫に保管されており、見学は不可。

バラク・ハーン・メドレセ: ジュマ・モスクの向かいにある、16世紀にシャイバニ朝のバラク・ハーンによって建てられた神学校。ソ連時代は中央アジアのイスラーム教の大本山であった。

〜〜〜新市街〜〜〜
ウズベキスタン歴史博物館: ツム百貨店の近くにある、石器時代から帝政ロシア時代に到る、ウズベキスタンの歴史に関する展示がある。特に興味深いのはアフガニスタンとの国境にある、テルメズ近郊のファヨーズ・テペ遺跡から出土した1〜3世紀の仏像。

ユーヌス・ハーン廟: ナヴォイ大通りの北側にある、15世紀建立の廟。ユーヌス・ハーンは、インドにムガール帝国を築いたバーブル帝の祖父にあたる。

アブドゥールハシム・メドレセ(民芸品工房): 19世紀に建てられた神学校を、民芸品工房として再利用している。学問所の部屋ひとつひとつで民芸品を展示・即売している。

ウズベキスタン美術館: スザニに興味のある方は必見。ここのスザニのコレクションはみごと。他にゾロアスター教(拝火教)の神像や、仏頭など、珍しい展示もある。

ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場: 中世のティムールなどを題材にしたオペラ、その他の芝居、バレエなどを観劇できる。9月〜5月がシーズン。

サイールゴフ通り: 通称『ブロードウエイ』。夕方になると「縁日」! 露店や屋台、オープンエアーのカフェが店開きする。シャシリクのお店にはいろいろなシャシリクが並んでいる。店長のお気に入りは脂身を肉で巻いた「なると巻き」のような串。
 「なると巻き」風シャシリク。ほどよく脂がのって美味。ぜひ、お試しあれ!
ウズベキスタン
<ヒヴァ>
<ヒヴァのイチャン・カラ>
ホレズム王国の首都として栄えた、現トルクメニスタンの「
クフナ・ウルゲンチ」。17世紀にアムダリヤ川の流れが変わり水利が絶たれたため、やむなく遷都となったが、それが「ヒヴァ」。その後ホレズムに於けるイスラームの聖都となり、外敵から街を守るため、二重の城壁で囲まれた。旧市街ヒヴァのイチャン・カラは、ユネスコの世界文化遺産に認定されている。

アタ・ダルヴァザ門: イチャン・カラの西門。現在は観光客が出入りする「正門」の役割を担っている。1対の塔が印象的。

クフナ・アルク: アタ・ダルヴァザ門を入り、左手にある城壁で囲まれた城で、「古い城」という意味。城内にはモスク、ハーンの執務室、ハーレム、兵器庫、火薬工場、造幣局などがあった。17世紀からの歴史を持ち、19世紀に再建された『クリヌッシュ・ハーンのアイヴァン』は美しい建築物。

カルタ・ミナル: アタ・ダルヴァザ門を入り、右手にある青いタイルで覆われた美しいミナレット。1852年に建造された。上部が切り取られたようになっているのは、未完成のため。「カルタ」という名は「短い」という意味で、なるほど穿った命名である。完成していれば70mはゆうに超えたであろうと思われる。

ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ: カルタ・ミナルの右奥にある神学校。。ムハンマド・アミン・ハーンによって1852年に建てられた。その規模は中央アジア最大で、最盛期は100人に及ぶ寄宿生がここで学んでいたと言う。1977よりホテルとして営業中。ちなみに隣のメドレセ、『マトニャズ・ディヴァンギ・メドレセ』はレストランとして利用されている。

パフラヴァン・マフムド廟: イチャン・カラの南側にある廟。13〜14世紀に活躍したヒヴァの大臣で、詩人・哲学者としても名を知られたパフラヴァン・マフムドの墓を中心に、14世紀から20世紀に到る様々な時代に建てられた堂宇が並んでいる。中庭にはこんこんと泉が湧いているが、この水を飲んだ女性は美しく、男性は強くなれるという伝説がある。試しては?

イスラーム・フッジャ・メドレセのミナレット: ヒヴァ最後のハーンであるイスフェンディヤル・ハーンの大臣であった、イスラーム・フッジャによって1910年に立てられた神学校に付属するミナレット。このミナレットはヒヴァでいちばん高い45mもの尖塔。このミナレットは登ることができる。イスラーム・フッジャは近代化に尽くしたが、保守的な勢力に抹殺された。建物の一画は食堂(チャイハナ)になっており、シャシリクなどの郷土料理を食べさせてくれる。見学の途中にいかが?

ジュマ・モスク: 美しい多柱式のモスク。最初の建立は10世紀だったが、何度かの修復の末、18世紀末に現在の姿になった。全部で212本の柱がある。柱の一本一本にそれぞれ異なった彫刻が施され、美しい。付属のミナレットは高さ42m(ヒヴァで2番目に高い)で、登ることができる。中央アジア屈指の名刹とされる。

アラクリ・ハーンの建築群: 1830〜1840年にアラクリ・ハーンによって建てられた建築群。主体となる建物は神学校だが、そのほかにバザールやキャラバンサライも同時に建設された。キャラバンサライは現在、百貨店になっている。

タシュ・ハウリ宮殿: 1830〜1838年にアラクリ・ハーンによって建てられた宮殿。クフナ(古い)・アルクに対して、「新しい宮殿」と呼ばれる。ヒヴァでも屈指の豪勢な建築として知られ、美しいタイルや装飾で飾られている。アイヴァンと呼ばれる儀式殿の天井の装飾は特に美しい。ほかに4人の正室の部屋や、ハーレム、ハーンの執務室など、163もの部屋がある。

パルヴァン・ダルヴァザ門: イチャン・カラの東門。東門の近くに奴隷市場があったため、「奴隷の門」とも呼ばれる。
ウズベキスタン
<ブハラ>
<ブハラ歴史地区>
9世紀から1220年のチンギス・ハーン(モンゴル)の来襲まで、中央アジアのイスラームの都として燦然と輝いたブハラ。チンギス・ハーンの侵攻により、カラーン・ミナレット以外のほぼ全てを失ったブハラだが、16世紀のシャイバニ朝の時代に再びイスラームの都として復活した。そして
『ブハラ歴史地区』は、ユネスコの世界文化遺産として現在もなお、燦然と輝いている。

イスマイール・サマーニー廟: 892年から943年にかけて建立された、中央アジア最古のイスラーム建築。9世紀末にブハラを占拠して都と定めたサーマーン朝のイスマイール・サマーニーによって建立された。後に彼や一族も葬られ、サーマーン朝の霊廟となった。日干しレンガを組み合わせた美しい建物で、ブハラでも貴重な建物のひとつとなっている。
 イスマイール・サマーニー廟<イメージ>

チャシュマ・アイユブ: 「預言者ヨブ(旧約聖書に出てくるヨブののこと)の泉」という意味の泉。伝説によると、この地方の人々が水不足に喘いでいたとき、予言者ヨブが杖でこの場所を叩いたところ、水が湧き出したという。泉の上に建てられた建物は円錐形の塔状の屋根と、丸い屋根をもつ。この奇妙な組み合わせは、違う時代の建て増しによるものである。
 チャシュマ・アイユブ<イメージ>

バラハウズ・モスク: 1718年建立のハーン専用のモスク。祝日にはハーンは居城であるアルク城から、絨毯を敷き詰めた道を歩き、このモスクに行幸したという。建物の前面には胡桃の木で造った柱が20本並んでいる。「ハウズ」とは池という意味だが、このモスクの前には石で覆われた池がある。

アルク城: 歴代のブハラのハーンの居城。2,000年以上の歴史を持つ、ブハラ発祥の地といわれるが、実際にこの城の礎がいつ頃築かれたのかは不明。荘厳な城門はレギスタン広場に面している。城内には玉座の間をはじめ、ハーンの部屋、モスクなどがある。城壁の上からはカラーン・ミナレット↓をはじめブハラの町が見渡せるが、足場の悪い場所もあるので注意!
 アルク城<イメージ>

カラーン・ミナレット: チンギス・ハーン率いるモンゴル軍にも破壊されなかった、奇跡の塔で、ブハラのシンボル的存在。高さ46mのブハラで最も高いこの塔は、1127年にカラハーン朝のアルスラン・ハーンによって建てられた。ミナレット内には螺旋階段があり、お布施を納めて登ることができる。塔の上から見るブハラの街は美しい。隣のカラーン・モスクの丸屋根もよく見える。
 カラーン・ミナレット<イメージ>

カラーン・モスク: カラーン・ミナレットの隣。1514年にシャイバニ朝の時代に建立されたこのモスクの回廊は208本の柱で支えられ、光と影がおりなす美しい景観を見せる。回廊の屋上には288個の丸屋根がある。カラーン・モスクの前の美しい建物は、1536年に建造された『ミル・アラブ・メドレセ』

ウルグベク・メドレセ: 二階建ての美しい建物は、教育者としてもその名を馳せたウルグベクが、1418年に建造した、現存する中央アジア最古の神学校。サマルカンドの発展に尽くしたウルグベクがブハラに残した唯一の足跡。メドレセの向かい側にある建物も神学校で、『アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ』という。

3つのタキ: 「タキ」とは交差点に建てられた丸屋根で覆われたバザールのこと。ブハラ旧市街には3つのタキが残されている。北から「宝石商のタキ」であった『タキ・ザルガラン』、「帽子屋のタキ」であった『タキ・テルパクフルシャン』、「両替商のタキ」であった『タキ・サラファン』。タキ・サラファンではユダヤ人の両替商がシビアに商いをしていたという話を聞いた。
 タキ・テルパクフルシャン<イメージ>

ハンマム: ハンマムとはイスラーム世界などで一般的な公衆浴場のこと。ブハラでタキ・テルパクフルシャンの北にある。夕刻までは男性専用で、夕刻以降は予約すれば女性が入れるとのこと⇒ご希望の方は店長まで

マゴキ・アッタリ・モスク 北からタキ・テルパクフルシャンを通り抜け、左側の道を辿ると公園の一画に地中に埋まっているように見える半地下のモスクが見える。10世紀頃に建立されたこのモスクは三層に別れており、それぞれ別の時代に造られたことが確認されている。破壊されるたびに基盤はそのままに、上に新しいモスクが建造されたことを物語っている?

ナディール・ディヴァンベキ・ハナカ: ハナカとは、イスラーム神秘主義の教団の修行の場を言う。17世紀に建てられた建物の中は民芸品の即売所となっている。ウズベキスタンの代表的な布製品などを買うことができる。

ラビハウズ: ナディール・ディヴァンベキ・ハナカと、後述のナディール・ディヴァンベギ・メドレセとの間にある池がラビハウズ。ここに池を作りたいと思ったアブドゥールアジズ・ハーンの大臣ナディール・ディヴァンベギが、奇策を講じて地主から土地を巻き上げたことから「力ずくの池」と呼ばれる。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ: 1622年にナディール・ディヴァンベギによって建てられた建物で、当初はキャラバンサライとなるはずであったが、突如、メドレセとされた。イスラーム建築には珍しく、鳳凰やシカ、顔を持つ太陽が描かれている。ここでは夕刻より『民族舞踊やファッション・ショー』を見ながら郷土料理が食べられる。

チャル・ミナル: 旧市街の東にある。名前は「4本のミナレット」だが、1807年にメドレセの見張小屋として立てられたもので、厳密にはミナレットではない。この周辺は旧市街でも静かな場所で、古き時代のブハラの息吹を感じることができる。

 ブハラのB&B。こんな豪勢な部屋も<イメージ>

<ブハラ郊外>
ブハラ旧市街ではないが、郊外にもみどころがある。
『シトライ・マヒ・ホサ』は最後のブハラ・ハーンの夏の宮殿で、西欧風とイスラーム風が取り入れられた美しい宮殿。ハーンのハーレムの建物は現在スザニの展示館になっている。現在ではなかなか見ることができなくなった「本物のスザニ」を見られる。
ウズベキスタン
<シャフリサーブス>
<シャフリサーブス歴史地区>
シャフリサーブスはソグディアナの都として栄え、7世紀には玄奘もこの地を訪れたといわれている。かのティムールはこの地の出身。市街の公園にはティムールの像が建つ。旧市街にはティムールゆかりの建造物が数多く残されているが、殆どは廃墟となっている。しかしながら、その貴重な
『シャフリサーブス歴史地区』は、ユネスコの世界文化遺産に認定されている。

アク・サライ宮殿跡: ティムール像のある公園の北にある史跡。1380年着工、1405年竣工(この時にはすでにティムールは亡くなっていた)のティムールの残した最大の建造物で、現在は入り口の門の廃墟のみが残っている。宮殿そのものは現在ティムール像の建つ公園一帯であったとされる。

ドルッティロヴァット建造物群: バザールの南、イパク・イューリ通りに面した建造物群。ここにはウルグベクが1436年に建立した『コク・グンバス・モスク』、ウルグベクが子孫のために建てた廟『グンバズィ・サイーダン廟』、1374年にティムールが父の墓所として建てた『シャムスッディン・クラル廟』などがある。

ドルッサオダット建造物群: ドルッティロヴァット建造物群の東にある建造物群。ここには街いちばんの名刹『ハズラティ・イマーム・モスク』、ティムールが戦死した嫡男のために建てた『ジャハンギール廟』、ティムールの次男の廟『ウマル・シェイヒ廟』などがある。
ウズベキスタン
<サマルカンド>
<サマルカンド―文化交差点>
「青の都・サマルカンド」という言葉は、中央アジアに対する憧れを呼ぶ響きがある。サマルカンドを見たくてウズベキスタンを訪れる人も多い。ソグド人によって繁栄の一途を辿ったこの街は1220年のモンゴルの襲撃で滅亡し、のちティムールによって再建された。『レギスタン広場』に象徴される
サマルカンド―文化交差点』は、ユネスコの世界文化遺産に認定されている。

レギスタン広場: チンギス・ハーン率いるモンゴル軍が去った後、サマルカンドの商業を担う場所となった。ティムールの時代にはバザールが、孫のウルグベクの時代には『ウルグベク・メドレセ』が建造された。時代が下り、シャイバニ朝の時代に『シェルドル・メドレセ』と『ティラカリ・メドレセ』が建てられ、現在見られる姿になった。各メドレセの部屋は土産物屋さんとなっており、ウズベキスタン各地のお土産が売られている。なかでも楽器のお店は珍しい楽器が展示即売されており、ぜひ探してみていただきたい。『音と光のショー』がシーズン中の夜に催されるが、日本語によるものもある。
 レギスタン広場<イメージ>

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ウルグベク・メドレセ: ウルグベクにより1420年に建てられた神学校で、レギスタン広場最古の建造物。メドレセではウルグベク自ら教鞭を振るったという。天を支えるという意味のある左右のミナレットは、天の重さで傾いてしまったという。メドレセ正面の門に描かれた幾何学模様の装飾はとても美しく、印象に残る。広場の向かって左(西)側にある。

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シェルドル・メドレセ: 1636年に竣工した神学校。かつてはイスラーム神秘主義教団の修行場であったハナカの跡に建てられた。ここの特徴は、門のデザイン。「シェルドル」とは「獅子が描かれた」という意味だが、門の隅には「顔を描いた太陽を背負った獅子の姿」がタイルで描かれており、イスラーム建築としては珍しい。広場の向かって右(東)側にある。

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ティラカリ・メドレセ: レギスタン広場の正面にある、1660年に建てられた神学校。左右対称ではなく、青いタイルの礼拝堂の立派なドームが左寄りに建てられている。「ティラカリ」とは「金箔を貼った」という意味があり、実際に礼拝堂の天井には金が贅沢に使われている。

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チョルスー: シェルドル・メドレセの北側を注意してみると、丸屋根の建物が見える。これは『チョルスー』と呼ばれ、かつて交差点に設けられた室内バザール。ブハラでは「タキ」と呼ばれているものと一緒。

グリ・アミール廟: サマルカンド観光のハイライトのひとつ。ティムールや彼の息子たち、孫のウルグベクなどが眠る霊廟。1404年に竣工した。もともとティムールは戦死した孫のムハンマド・スルタンの廟として建造したが、完成の翌年、ティムール自身が中国遠征の途上で戦病死し、ここに葬られた。目の前の廟は『ルハバット廟』という14世紀の建物。
 グリ・アミール廟<イメージ>

ビビハニム・モスク: かつてはイスラーム世界に於ける最大のモスク。ティムール自身が建立の指揮をとったという。あまりにも建設を急ぎすぎ、そしてあまりにも巨大すぎたこのモスクは、ティムール薨去と前後して崩落がはじまり、やがて廃墟となってしまったという。

シヤブ・バザール: ビビハニム・モスクの近くにある、サマルカンドの庶民の台所。史跡・名刹ではないが、ぜひ立ち寄ってみたい。サマルカンドの名物はナン。さまざまな装飾が施されたナンは、食べてしまうのがもったいないくらい。もちがよいので、お土産にいかが?また、質のよい蜂蜜も手に入る。おなかが空いたらシャシリクも食べられる。

シャーヒズィンダ廟群: サマルカンドに於けるイスラームの聖地。また、サマルカンド観光のハイライトのひとつ。ティムールゆかりの人々が眠る美しい霊廟が立ち並ぶ様は壮観。いちばん古い廟は11世紀建立の『クサム・イブン・アッバース廟』で、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍にも破壊されなかった。この廟は聖地となっており、巡礼者が絶えない。
 シャーヒズィンダ廟群<イメージ>

アフラシャブの丘: サマルカンドの北東の丘の上にある、『旧サマルカンドの遺跡』。かつてはソグド人が建設した美しい町であったが、モンゴル軍によって徹底的に破壊され、生き残った人もこの町を捨て、現サマルカンドに移住したとされる。ソグド人のフレスコ画は高い技術で知られるが、丘の麓にある『歴史博物館』でそれを知ることができる。


ウルグベクの天文台跡: ウルグベクによって造られた天文台跡。望遠鏡の無い時代にじつに緻密に天体観測が行われていた。当時の学問の深さに驚かされる。
ウズベキスタン
<その他の街>
<ギジュドゥヴァン>
ブハラからサマルカンドに向かう街道は、シャフリサーブスを経由する山の街道と、ギジュドゥヴァンを経由する平地の街道がある。ギジュドゥヴァンの村は
陶器で知られ、陶工が多数いる。黄色・緑を主体とした厚手のギジュドゥヴァンの陶器は見た目にも美しく、よいお土産になる。

アイダルクル湖
遊牧民を偲ぶ旅はいかが?ラクダに乗って、ユルタに泊まり、遊牧民体験ができるのはアイダルクル湖の湖畔。アイダルクル湖では夏の間、泳ぐこともできる。湖では漁師が大きな魚を釣っている姿を見られるかもしれない。水着は必携
ちょっと変わったウズベキスタンの旅は店長におまかせ!
 ユルタに泊まってみたい・・・<イメージ>

ウルゲンチ近郊

ウルゲンチはヒヴァ観光の拠点となることで知られる街だが、ヒヴァ以外にもみどころがある。かつての都城“カラ”が近郊に点在する。代表的なものは、紀元前1世紀〜紀元前5世紀に栄えたシャー・ウシュ朝の都城『トプラク・カラ』、モンゴル軍に滅ぼされるまでは重要な都城のひとつであった『クワット・カラ』、ふたつの都城が隣接する双子都市『アヤズ・カラ』などがある。

<ヌクスとアラル海>
消え行く湖、アラル海も観光ができる。拠点になるのはヌクス。ヌクスから北上したモイナックの町外れがアラル海の『かつての海岸線』。かつて海だったところは『船の墓場』と化している。アラル海の現在の海岸線は見ることはできなくなってしまっている。ここに来たらぜひ、環境問題も考えてみたい。

<フェルガナ盆地>
フェルガナ盆地は、ウズベキスタン東部、キルギスやタジキスタンに包まれるようにしてある、風光明媚な地域。中心となる街は
『フェルガナ』で、フェルガナ盆地の歴史・文化・民俗などに関する展示のある郷土資料館がある。近郊には絹の産地として知られる『マルギラン』や、ギジュドゥヴァンとならぶ陶器の街『リシタン』、19世紀の前半に栄えたコーカンド・ハーン国の都で、最後のハーンであったフダヤル・ハーンの宮殿や、ハーンたちの墓所であるダフマイ・シャーハーン廟そしてモダリ・ハーン廟のあるコーカンドがある。

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アクセス方法と他国との組み合わせ
  カザフスタン キルギス ウズベキスタン
直行便 なし なし 直行便あり
経由1 ウズベキスタンのタシケント: タシケントまでは日本からウズベキスタン航空の直行便がある。タシケントからアルマトゥまではウズベキスタン航空が就航している。
ウズベキスタンのタシケント: タシケントまでは日本からウズベキスタン航空の直行便がある。タシケントからビシュケクまではウズベキスタン航空が就航している。。 タイのバンコク: バンコクまでは日本から直行便が多数ある。バンコクからタシケントまではウズベキスタン航空航空が就航している。
経由2 トルコのイスタンブール: イスタンブールまでは日本からトルコ航空の直行便がある。イスタンブールからアルマティまではトルコ航空が就航している。
トルコのイスタンブール: イスタンブールまでは日本からトルコ航空の直行便や、他社の経由便がある。イスタンブールからビシュケクまではタジク航空が就航している。
トルコのイスタンブール: イスタンブールまでは日本からトルコ航空の直行便がある。イスタンブールからタシケントまではトルコ航空が就航している。
経由3 中国のウルムチ: ウルムチまでは日本から中国各都市経由で便がある。ウルムチからアルマティまでは新疆航空が就航している。ウルムチからアルマティまで鉄道で旅をするのも楽しい。 中国のウルムチ: ウルムチまでは日本から中国各都市経由で便がある。ウルムチからビシュケクまでは新疆航空が就航している。ウルムチからアルマティまで鉄道で旅をするのも楽しい。 韓国のソウル: ソウルまでは日本からアシアナ航空の直行便がある。ソウルからタシケントまではアシアナ航空が就航している。
国内線 国内線はアルマトゥとシムケント間などにある 国内線はビシュケクとオシュ間などにある タシケントとサマルカンド、ブハラ、ウルゲンチ(ヒヴァ観光の拠点)、ヌクス(アラル海観光の拠点)などに便がある。
他国との組み合わせ カザフスタンのシルクロードゆかりの都市とキルギスをウズベキスタンを拠点にして訪れる⇒詳しくは店長まで
他国との組み合わせ
その具体例 
例えばカザフスタン+キルギス+ウズベキスタン: ウズベキスタン到着後、陸路でシムケントに向かう。シムケント、タラズなどの史跡を巡り、キルギスのビシュケクへ。キルギスではイシク・クル湖や遊牧騎馬民族の遺跡を訪ねる。ウズベキスタンでは時間が許せばサマルカンドなどに足を延ばす。
あるいはウズベキスタンのタシケントから
アルマトゥに飛び、市内や近郊の史跡などを観光する。その後、キルギスに向かい、ビシュケクやイシク・クル湖や遊牧騎馬民族の遺跡を訪ねる。ウズベキスタンでは時間が許せばサマルカンドなどに足を延ばす。

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